プラモデル作り

このところ暇なので童心に帰って作ってみました。

イギリス海軍戦艦 H.M.S.キング・ジョージ五世
全長227.2m  全幅31.4m  排水量44,460t  出力125,000hp 速力28kt  兵装35.6cm 砲塔3基10門  40mm 8連装砲4基他  
1941年、ジョン・トーヴィー英国本国艦隊司令長官が坐乗し、ビスマルク追撃戦に参加。ブレスト沖で雷撃機の攻撃により行動不能となっていたビスマルクを、戦艦ロドネーと協力して砲撃した。1944年、イギリス太平洋艦隊に配属され1945年7月末、浜松の日本楽器工場を砲撃した。







日本海軍空母瑞鶴
全長 257.5m 飛行甲板長さ 242.2m×幅 29.0m 出力 160,000hp 速力 34.2kt 搭載機 常用72機 補用 12機   
1942年昭和17年5月8日、日本海軍の空母機動部隊とアメリカ海軍を主力とする連合国軍の空母部隊が交戦した珊瑚海海戦は、史上初の空母対空母の決戦となった。この海戦は両艦隊が互いに敵影を見ずに行われた歴史上最初の海戦でもあった。昭和19年、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する囮部隊として出撃。10月25日エンガノ岬沖において集中攻撃を受け沈没。真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦等に参加。マリアナ沖海戦まで一度も被弾しなかった幸運艦であった。






 

日本海軍戦艦長門
全長224.94m 全幅34.95m 排水量39,120t 出力 82,000hp 速力 25.0kt 兵装 41cm連装砲塔4基他
姉妹艦の「陸奥」、イギリスのネルソン級戦艦2隻、アメリカ合衆国のコロラド級戦艦3隻とともに世界のビッグ7と呼ばれた。太平洋戦争開戦時、「長門」は連合艦隊旗艦として「ニイタカヤマノボレ1208」を打電した。稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦だった。





ドイツ海軍戦艦ティルピッツ


日本海軍戦艦日向
全長219.62m 全幅33.83m 排水量38,872t 出力 80,640hp 速力25.1kt 兵装35.6cm連装砲塔4基他
昭和19年10月のエンガノ岬沖海戦において小澤艦隊は囮部隊として空母瑞鶴など4隻を失う大損害を被った。その後米軍機の攻撃は健在な「日向」と「伊勢」に集中したが、両艦は司令官 松田少将考案の航空攻撃回避法と大幅に強化した対空兵装により米軍の攻撃を回避し生還した。




日本海軍重巡洋艦摩耶
全長203.76m全幅20.72m排水量 15.159t 出力 130,000hp 速力34.6kt  兵装20.3cm連装砲塔4基  25mm3連装機銃13基39挺 同単装機銃9挺  13mm単装機銃36挺(防空巡洋艦化) 61cm魚雷発射管4連装4基他  レイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)の一艦として参加。米ガトー級潜水艦デイスの雷撃を受ける(摩耶を戦艦と誤認)。この雷撃により左舷に魚雷4本が命中し沈没した。






日本海軍空母飛龍
全長227.95m(飛行甲板長216.9m)全幅22.32m 排水量20,165t 出力153,000hp 速力34.5kt 搭載機常用57機 補用16機            
ミッドウェー海戦で唯一爆撃を免れた飛龍は、山口多聞少将指揮の下、反撃を開始。空母ヨークタウンを攻撃し航行不能とした。しかし、空母エンタープライズ他のSBDドーントレス急降下爆撃機24機の集中攻撃を受け、1,000ポンド爆弾4発を被弾し大破、総員退去後沈没した。






イギリス海軍巡洋戦艦H.M.S.フッド
全長 262.3m 全幅 28.9m 排水量 46,880t 出力 151,280hp 速力29.5kt兵装  38.1cm連装砲塔4基他  「軍艦美の極致」と評されるほどの優美なスタイルの艦で、イギリス国民からは「マイティ(強大な)・フッド」と呼ばれて長く愛された。1940年、ドイツに降伏したフランス親ドイツ政権下のフランス艦隊を無力化するため行動を起こした。7月2日、フッドは戦艦レゾリューション、ヴァリアントほかの戦力と共にジブラルタルを出撃。翌3日、フランス領アルジェリアのメルス・エル・ケビール軍港に停泊する最新鋭戦艦2隻と旧式戦艦2隻等を擁するフランス艦隊を攻撃、戦艦ブルターニュを撃沈、戦艦ダンケルクとプロヴァンスを中破座礁させた。 しかし、1941年5月21日、ドイツ戦艦ビスマルク追撃戦では、戦闘開始からわずか6分後、ビスマルクの第五斉射弾がフッドの火薬庫に命中、フッドは轟沈した。生存者は乗員1,419名中、3名であった。



日本海軍戦艦霧島
全長222.65m 全幅31.01m 排水量36,668t 出力136,000hps
兵装 35.6cm連装砲4基 15.2cm単装砲14門 12.7cm連装高角砲4基他
1942年11月、第3次ソロモン海戦は太平洋戦争初の戦艦対戦艦の砲撃戦となった。戦艦サウスダコタには僚艦と協同して命中弾を与え戦線を離脱させたが、戦艦ワシントンから6発以上の16インチ(40.6cm)砲弾を受けた艦歴20年以上の老戦艦は戦闘不能となり沈没した。








イギリス海軍空母H.M.S.アークロイアル
全長243.83m 全幅28.88m 排水量27,720t 出力102,000hps 速力31.0kt
兵装11.4cm連装両用砲8基 4.7cm単装高角砲4基 4cm8連装機関砲6基他 搭載機60機 
1941年5月、ビスマルク追撃戦に参加。5月26日、アークロイアルから発進した複葉雷撃機がビスマルクに魚雷3本を命中させた。内1本が操舵装置を破壊。取舵のまま転舵不能となり速力の落ちたビスマルクはイギリス艦隊H部隊の餌食となり命中弾多数を浴び沈没した。




日本海軍空母隼鷹
全長219.32m 全幅26.7m 排水量24,140t 出力56,250hp 速力25.68kt
兵装12cm連装噴進砲10基 12.7cm連装高角砲6基 25mm連装機銃19基他
搭載機 58機   昭和17年、ミッドウェイ海戦で正規空母4隻を一挙に失った日本は、大型客船を改装し本艦を建造した。南太平洋海戦、マリアナ沖海戦など主要海戦に参加し「飛龍」型に劣らぬ働きをみせた。昭和19年、物資輸送作戦中、米潜水艦に雷撃され大破するも帰投した。




日本海軍駆逐艦 雪風
全長118.5m 全幅10.8m 出力52,000hp 速力35.5kt
兵装 12.7cm連装砲3基 61cm四連装魚雷発射管3基 25mm連装機銃2基他
スラバヤ沖海戦から大和特攻(天一号作戦)まで寺内艦長の下、16回以上の主要な作戦に参加し,ほとんど無傷で終戦を迎え「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた。
ちなみに、大和部隊攻撃で襲来した米軍の艦載機は300機以上であった。



日本海軍駆逐艦 秋月 
全長 134.2m 全幅 11.6m 排水量 3,470t 出力 52,000hp 速力 33.0kt
兵装 10cm連装高角砲4基8門 25mm3連装機銃5基 同単装機銃13丁
対空能力に優れた防空型駆逐艦として開発され、太平洋戦争後半の艦隊防空を担当した。1942年9月、ショートランドに来襲したB-17爆撃機3機のうち、1機を撃墜した。1944年エンガノ岬沖海戦で味方艦?の砲弾弾片が次発装填装置内の予備魚雷に命中爆発し沈没。

日本海軍駆逐艦 島風
 全長129.5m 全幅11.2m 排水量3,048t 出力75,000hp 速力40.37kt 
兵装 12.7cm連装砲塔3基 25mm連装機銃2基 5連装魚雷発射管3基
水雷決戦を目的とする艦隊型駆逐艦の最高峰を目指し、高速・強雷装の駆逐艦として建造された。1943年、キスカ島撤退作戦で警戒部隊として出撃し成功裏に帰還。1944年11月、多号作戦(レイテ増援輸送作戦)で米軍艦載機の攻撃により至近弾多数を浴び沈没。




日本海軍潜水艦 伊400
全長122m 全幅12.0m 排水量5,223t 出力 水上7,700hps 水中2,400hps 速力水上18.7kt 水中6.5kt 兵装 53cm魚雷発射管8門20本 14cm単装砲1門 25mm3連装機銃3基 水上攻撃機3機  アメリカ本土攻撃を主任務とし建造された。1945年(昭和20年)6月、ウルシー泊地の米機動部隊への攻撃が決定された。しかし、ポツダム宣言受諾により内地へ帰投する途中、東京湾北東500海里で米軍に拿捕された。



アメリカ空母 ヨークタウン
全長247m 全幅25m 排水量25,500t出力120,000hp 速力32.5kt 搭載機90機(補用含) 
 珊瑚海海戦で瑞鶴の急降下爆撃隊の攻撃を受け250キロ爆弾1発が艦橋後方に命中。爆弾は飛行甲板を貫通して炸裂し艦は中破した。ミッドウェー海戦では僚艦2隻とともに日本軍の空母3隻を撃沈する戦果を挙げるが、残る空母飛龍の反撃にあい大破した。漂流中、日本潜水艦伊168の魚雷1本が命中。6月8日沈没した。



日本海軍軽巡洋艦 天龍
全長142.54m 全幅12.3m 排水量 3,230t出力 51,000hp 速力33kt兵装 14cm単装砲4門  8cm高角砲1門  53cm3連装魚雷発射管2基 人力装填の単装主砲と魚雷発射管が主兵装の軽巡洋艦の元祖ともいうべき艦型で、駆逐艦よりやや大きい程度であった。1942年12月、駆逐艦4隻と共に輸送船2隻を護衛したマダン上陸作戦で、米潜水艦アルバコアの発射した魚雷が左舷後部に命中、沈没した。


日本海軍空母 蒼龍
全長227.5m 全幅21.3m 出力152,000hp 速力34.5kt 搭載機数75機
真珠湾攻撃、セイロン沖海戦などで華々しい活躍を見せた蒼龍だったが、1942年6月、ミッドウェー海戦で米空母「ヨークタウン」から発進した艦載機の攻撃を受ける。低空から侵入した雷撃機は零戦と対空砲火で撃墜したが、上空への警戒が手薄になったところへ、SBDドーントレス急降下爆撃機十数機が殺到。1,000ポンド爆弾三発が命中。装填準備中の弾薬・燃料に引火。大火災を起こし沈没した。




日本海軍水上機母艦 秋津洲 
全長114.8m 全幅15.8m 排水量5,000t 出力8,000ps 速力19kt
兵装12.7cm連装高角砲2基 25mm連装機銃2基 飛行艇1機収容可
日本海軍では、「開戦前敵主要艦艇特ニ航空母艦が真珠湾ニ在泊スル場合ハ敵ノ不意ニ乗ジ空母艦載機並ニ飛行艇ニ依ル急襲ヲ以テ開戦シ…」と航空機によるハワイ攻撃作戦の研究が進められていた。開戦後は各地で飛行艇の母艦任務、索敵哨戒等に従事したが、フィリピンのコロン湾で米空母艦載機の攻撃を受け撃沈された。


木甲板の試し塗り
この頃流行っている、木甲板に色鉛筆で線を入れる方法を英戦艦ドレッドノートで試してみた。
元来、塗装はセンスがないうえに加減が分からず苦手で、甲板シールが手に入るなら必ずシールを使うタイプなので
今回はダメもとでテストしてみた。
①木甲板色を吹く。十分乾燥させる。 ②茶系統の色鉛筆4本で板目に沿って線を入れる。
③もう一度、ごく軽く木甲板色を吹き十分乾燥させる。 ④薄めたブラウン系スミ入れ塗料を塗る。⑤水性つや消しトップコートスプレーを吹く。下の画像で明るすぎるとお考えなら、木甲板色を他の色に置き換えれば良いでしょう。
ド素人が初めて挑戦したわりにはうまくできて吃驚。

イギリス海軍戦艦 H.M.S.ドレッドノート 
全長160.6m 全幅25.0m 排水量21.845t 出力23,000hp 速力21.0kt
兵装 30.5cm連装砲5基 7.6cm単装砲27基 45cm水中魚雷発射管5門
日本語の「ド級(弩級)戦艦」、「超ド級(超弩級)戦艦」や「ど○○○」と言う驚嘆・強調表現は本艦に由来する。
本艦は、単一口径の連装主砲塔5基で兵装を構成するという当時の戦艦の概念を一変させた革新的な艦で、単純に見ても従来艦2隻分の戦力に相当し、さらに長距離砲戦での有効性はそれ以上であった。また従来の戦艦の速力が18ノット程度であったのに対し、蒸気タービンの採用により一躍21ノットの高速を得た。すなわち世界の戦艦をすべて旧式艦に追いやった歴史的な戦艦であった。




アメリカ海軍護衛空母 コメンスメント・ベイ 
全長169.9m 全幅32.05m 排水量11,375t 出力16,000hp 速力19kt
搭載機 戦闘機×18機 艦上攻撃機×12機 カタパルト2基
コメンスメント・ベイ級航空母艦は艦型や性能に余裕があって戦闘による大きな損害もなく、なおかつ大型カタパルトを装備していた事もあって、他の護衛空母とは違って長く現役に留まることが出来た。朝鮮戦争では護衛空母として唯一、第一線の現役艦として行動した。



フランス海軍戦艦 リシュリュー 
全長247.90m 全幅33m 排水量47,548t 出力150,000hp 速力30kt
兵装38cm4連装砲塔2基 15.2cm3連装砲塔3基 10cm連装高角砲6基
イタリア海軍の脅威に対抗する目的で建造された本級はその速度、装甲、兵装に最先端技術が投じられた。外国海軍の40.6cm砲戦艦と比肩しうる実力を持つとされ、フランス海軍史上最も強力な戦艦であった。主砲は4連装砲塔に収められ、艦前方に2基装備された点が特異であるが、これにより主要防御部分をコンパクトにでき、装甲帯を集中できることから艦の軽量化が可能となり、復元性・速力の向上を図ることができた。
フランスの艦らしく禍々しさのない明るい塗装、優美な艦体である。


アメリカ海軍 ダグラスF-14Dトムキャット






イタリア海軍戦艦 ヴィットリオ・ヴェネト 
全長224.5m 全幅32.9m 出力140,000hp 速力31.45kt
兵装38.1cm3連装砲塔3基 15.2cm3連装砲塔4基 他  仮想敵国であるフランス海軍のダンケルク級に対抗すべく建造された。スパルティヴェント岬沖海戦、マタパン岬沖海戦など地中海で56回の作戦に参加した。1943年、エジプトに派遣されたが、スエズ運河のグレートビター湖で連合国軍に抑留された。戦後イギリスから返還され1960年に廃棄された。
3連装主砲塔を採用し、バイタル・パートの集約や高速化を実現。ただし、主戦場が地中海のため航続距離は短かった。







ドイツ海軍重巡洋艦 プリンツ・オイゲン
全長 212.5m 全幅 21.8m 排水量 15,000t 出力 136,000hp 速力 33.5kt
20.3cm連装砲塔4基 10.5cm連装高角砲12門  37mm機関砲12門 
20mm連装機関砲8基 20mm 4連装機関砲8基 533mm魚雷発射管12門
1941年5月、プリンツ・オイゲンは戦艦ビスマルクと共にライン演習作戦に参加。英戦艦プリンス・オブ・ウェールズに命中弾を与えた。激戦の続く中、終戦まで生き残った幸運艦だった。ビキニ環礁での水爆実験で沈没した。









イタリア戦艦 ローマ
全長237.8m 全幅32.9m 排水量43,624t 出力140,000hp 速力31.5kt
38.1cm3連装砲塔3基 15.5cm3連装砲塔4基 90mm砲12門 他
ローマは1938年に起工したが、海軍に引き渡されたのは1942年6月のことであった。しかし停泊中にアメリカ軍機の爆撃で損傷し再びドック入りした。1943年9月イタリアは連合国に降伏したが、イタリア艦艇が連合国軍の手に渡ることを恐れたドイツ軍の誘導爆弾フリッツXにより撃沈された。





日本海軍空母 加賀
全長247m 全幅32.5m 排水量26,900t 出力125,000hp 速力27.5kt
搭載機75機 加賀は、ワシントン海軍軍縮条約の結果建造中止と
なった加賀型戦艦を改装した大型空母であった。昭和17年6月の
ミッドウェー海戦でエンタープライズの艦上爆撃機ドーントレスの
急降下爆撃により1000ポンド爆弾が4発~5発以上命中。
航空ガソリンと弾薬に引火し大爆発を起こして沈没した。












コメント

人気の投稿